ディベートとディスカッションの違い-8点

セルフコーチング協会では、セルフディベート」を行っており、その一環としてディベートを教えています。

もともと、私がディベートの講師なので。

今回は、ディベートがどんなものかについて8点でお伝えしていきます。

1.ディベートとは何か?

ディベートとは、事前に賛否両論のお題が与えられ、参加者を賛成側と反対側のチームに分けて、お互いの議論を戦わせながら、その説得力を競うゲームです。

大まかな流れを説明するとこんな感じです。

その1 賛否両論のお題を用意する

  • わが社は英語を公用語にするべきである
  • NHKは受信料を引き上げるべきである
  • 〇〇社は、副業を認めるべきである

など、なんでもよいので、必ず意見が賛成側と反対側に分かれるお題を設定します。

このお題のことを、「論題」と呼びます。賛成する立場の人達を「肯定側」、反対する立場の人たち「否定側」と呼んでいますね。意見対立を前提とした討論をするイメージですね。

その2 肯定側/否定側は試合直前に決まる

さて、ここはあまり知られていないかもしれませんが、肯定側になるか、否定側になるかは、試合直前まで解らないということです。試合直前にジャンケンやコイントスをして、ランダムに分けられます。

例えば、あなたが個人的に会社が副業を認めることについて賛成だとしても、否定側になれば、その意見を反対しなければなりません。自分の意見とは真逆の立場になって議論をすることもあるということです。

ディベートは、論理的に物事を考える力や自分の意見を相手に伝えるためのトレーニングとして行っている団体もございますが、それらは本質ではありません。ディベートを学ぶいちばんの意味は、個人の好みや価値観、無意識の思い込みなどをいったん外に置いて取り組みます。

結果、このようなスキルを身につけることができます。

  • 相手の立場で物事を考えられるようになる
  • 自分とは異なった考えや価値観を受け入れる態度を養える
  • 真逆の考えを受け入れることで自身の思考を磨ける
  • 客観的にな立場で適切な判断を下せるようになる

しばし、ディベートは論理的思考力や話すトレーニングを磨く場として採用されていますが、それだけが目的ならそれ専門の講座に行けばよいわけです。ディベートを選ぶ理由は、先ほど触れた4つを体験を通して磨けるところにあります。

この記事を読んでるあなたがコーチングやカウンセリングのお仕事を志望している方であれば、この4つのスキルがどれだけ重要かは言うまでもないですね。

その3 発表の順番や時間は決まっている

テレビ討論や会社での打ち合わせなどをしていると上司、部下、同僚、そしてお客さんと意見が対立してしまい議論・討論になることはよくあります。ついつい感情的になってしまい、相手が話してる最中に割って自分の意見を言ってしまった経験はないでしょうか?

もちろん、私にもあります。何とも言えないあの気まずさ。

ディベートの試合では、事前にタイムテーブルが用意されており、タイムテーブルにのっとりゲームを進めていくため、言葉のキャッチボールを交互に行っているような感覚です

タイムテーブルは団体によって異なりますが、私がディベートの講座を開くときは、以下のタイムテーブルにそって試合を進めております。

※タイムテーブルの図

各スピーチの意味については、こちらの記事を参照してください。

その4 試合の勝敗は第三者に委ねられる

ディベートの試合では、必ず勝敗があります。ですが、その勝敗は、選手同士で試合の勝敗を決めることはありません。原則、ディベートの試合を判定できる専門の人や観客の票の数に委ねます。

だからこそ、選手は相手に対して意見を押し付けるのではなく、ジャッジや観客を説得して、納得してもらうような話し方を心がけます。

ここら辺は、裁判と一緒ですね。直接相手を論破するのではなく、周りの人たちに自分たちの議論のほうが相手の議論より優れている-説得力がある-ことを積極的にアピールして、票を勝ち取ります。

以上の4つがディベートの特徴になります。

  1. 賛否両論のお題を用意する
  2. 肯定側/否定側は試合直前に決まる
  3. 発表の順番や時間は決まっている
  4. 試合の勝敗は第三者に委ねられる

さて、ディベートの理解を深めるうえで、ディスカッションの違いについて比較をしていきます。大きな違いは8点あります。

2.ディベートとディスカッションの違い-8点

ディスカッションとは、

「日本の教育を改善するために何が必要か?」「今の若者に求められることは何か?」など何らかのテーマを用意して、その場にいる人たちと意見交換をしながら、色々な意見を束ねて最後に結論を導くという議論の方法です。

ディベートとディスカッションは、似ているようで全く似ていません。そんな違いについて8点で解説をしていきます。

その1.テーマが意見対立を前提にしていること

ディスカッションとディベートとでは、テーマそのものが大きく異なります。

まずは、ディスカッションでよく行われてそうなテーマをご覧ください。

  • 「日本の教育を改善するために何が必要か?」
  • 「今の若者に求められることは何か?」
  • 「政府は今後税金をどのように使うべきか?」

いかがでしょうか?ディベートのテーマと比べるとやや漠然としているようにも思えます。もちろん、「英語の授業は必要か?」「子供たちにプログラミングを教えるべきか?」というテーマでディスカッションを行っている人もいますが、日本人の文化が原因なのか、ディベートのように賛成側と反対側で意見が割れるテーマは好まれません。

賛成をする前提でどのような意見がありますか?という感じで話を進めていくのが一般的です。みんなで同じことを考えていく、がディスカッションにはあります。

対して、ディベートのテーマは、最初から肯定するか、否定するか、のどちらかしかありません。

  • 「日本の教育を改善するために何が必要か?」
    →文部省は教員の数を増やすべきである
  • 「今の若者に求められることは何か?」
    →経団連は、若者の離職率を引き下げるための施策を行うべきである
  • 「政府は今後税金をどのように使うべきか?」
    →日本政府は、軍事費に割り当てる予算を半額に設定するべきである

など、何をする?どうなる?どのように行っていく?ではなく、賛成、反対どっち?の世界です。

その2 主張したら必ず理由を述べる

ディスカッションもディベートも意見を述べるところまで共通です。ディスカッションでは、意見さえ述べればOKな場合もあります(誰も意見を言わければ尚更)。

例えば、日本の教育をテーマにディスカッションをしている風景を想像してみてください。ある人が、「今の日本の暗記中心の教育は子供たちの個性を殺す教育だと思います。もっと、ひとりひとりが自分の意見を発信できるような教育プログラムを作るべきです。」といったとします。

ディスカッションの場合、この意見に共感した人が、「そーだ!」「その通りだ!」「ごもっともだ!」と拍手して終わると思います。ディベートでは絶対にありえません。

「そもそも日本の教育は暗記中心の教育なのか?海外と比べてどうなのか?根拠は?」

「なぜ暗記中心の教育が子供たちの個性を殺すのか?説明してみてください」

「一人一人が自分の意見を発信できる教育がどんなものか具体案を示したか?」

「そもそもなぜ子供たちの個性を生かす教育が必要なのか?税金を払ってまで?」

と、思い付きで発言したら最後です。「根拠なき主張は議論ではない」のルールに従い、その意見は無効扱いされます。主張をして終わりではなく、その主張を裏付ける理由は、その理由を裏付ける根拠まで述べて当たり前です。されに突っ込むなら、根拠を立証するためのさらなる根拠まで述べることが求められます。

先ほどもお伝えした通り、ディベートは説得力を競うゲームであり、その説得力は、主張したことをどれだけ深堀して立証できるかが求められます。

「普段から意見を述べるトレーニングをしていないとディベートは厳しいですか?」と質問されますが、その通りです。

但し、ご安心ください。

私が運営している団体では、「どのように理由や根拠を述べるのか?」などディベートをするために必要な知識や技術をキチンとレクチャーしてから、ディベートを行います。

その3 意見と人格は完全に切り離す

実際の討論や議論の場で、意見と人格を切り離すことは難しいです。ディスカッションでも意見と人格は必ずセットになります。人間ですから仕方ありません。

ですが、ディベートの場では、この意見と人格の分離が徹底されています。

徹底されているというよりもゲームのシステム上そうならざるを得ません。そもそも自分の意見を述べる場ではないわけですから。

その気になれば、社会人経験ゼロのニートがベテランの経営コンサルタントと、日本の産業社会について討論をしても、ニートの議論のほうが説得力が高いと判断されれば、経営コンサルタントにも勝てます。

その4 人格攻撃は原則禁止

先ほどの社会人経験ゼロのニートの例がわかりやすいですね。経営コンサルタントが、「キミは社会人経験がないから何も知らないんだよ。」と反論しても、これは反論としては評価されません。

誰が言っているか?ではなく何を言ったか?どのように議論を組み立てたか?にウェイトが置かれます。これには例外がありません。

ディスカッションの場に社会的な権威を持ち込んでドヤを効かせる人はそれなりにいるかもしれませんが、ディベートの場では社会的権威は全く役に立ちません。

その5 相手の話を遮るのは禁止

これは先ほど説明した通りですね。必ず話す順番があります。相手選手が話しているときは、カウンセラーのように黙って聞いて、相手の議論を紙にひたすら書くだけのリスニング&ライティングワークです。

意外かもしれませんが、ディベートの試合は話し上手な人よりも、キチンと相手の話を最後まで聞ける人のほうが強かったりします。人前で話すのが上手かどうかは全く関係ありません。

その6 話し方はそんなに評価されない

ディスカッションの違いというより、スピーチとの違いかもしれませんが、ディベートの試合では声のトーンや話し方はあまり評価されません。

それよりも、キチンと議論が組み立てられたか、反論の内容が適切だったか?最後のスピーチでこれまでの議論を上手にまとめたか?のほうが重要です。

聴衆を魅了させるようなスピーチができても、理由や根拠がなくて議論が破たんしていれば、ジャッジ・聴衆から票を頂くことができないからです。

その7 必ず勝敗がある

ディスカッションには勝敗はありませんが、ディベートには必ず勝敗があります。ジャッジ・聴衆は、必ずどちらかに投票をして、なぜ自分たちは肯定側(否定側)に投票をしたのか、その理由をみんなに説明しなければなりません。

だからこそ、ジャッジ・聴衆は、選手のスピーチを聴きながら、試合の判定材料を必死に探しているわけです。逆に考えるなら、選手は試合の中でどれだけジャッジ・聴衆に判断材料をを与えたかが大事になります。

その8 ディベートはゲーム

やや主観的かもしれませんが、これまでのまとめとして。ディベートは突き詰めると、議論や討論をゲームとして行うものなんですね。本質的には、格闘技やボードゲームをするのと何ら変わりはありません。

ゲームだからこそ、対戦選手がいて、ルールや勝敗の基準がキチンと定められていて、両選手がフェアに挑めるようになっています。

プラスアルファでディベートの場に参加した人たちが、具体的な技術を身につけられるように主催側の人たちは設計をしています。

 

 

 

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